日本一感動を目指す!

花火マニアも涙する『赤川花火』はなぜそこまで心を奪われるのか?インタビュー第1回

PROFILE

第29回 赤川花火大会 実行委員長

井上 貴利 氏

第29回 赤川花火大会 総括

芳賀 崇利 氏

第29回 赤川花火大会 副総括

佐藤 大輔 氏

2019年8月17日(土)に開催される第29回赤川花火大会。山形県の鶴岡で行われる同花火大会は、全国の花火ファンから絶大な人気を誇っている。なぜそれほどに花火ファンに支持されるのか? その理由を探るべく、運営委員会の実行委員長・井上貴利氏、総括・芳賀崇利氏、副総括・佐藤大輔氏にその成り立ちからを訊いた。そこから見えてきたのは、受け継がれてきたまっすぐな想いと、若手とベテランの絶妙な役割分担という地域活性化への道筋も見えてきた。

「赤川花火大会」インタビュー
~実行委員会OB・アカハナ会編~
第2回記事はこちら

毎年入れ替わる30代の若手が中心となり運営される「赤川花火大会」

――皆さんお若いですが、赤川花火大会が始まったきっかけからお伺いしてもよろしいですか?

芳賀:始まった当初のメンバーから伝え聞いた、自分たちが知っている範囲でしかお話できないのですが、このあたりの各市町村がそれぞれ花火大会をしていた時代があり、それが予算であったり、運営する人の問題などから、花火大会を開催しないところが増えてきたそうなんです。それはここ鶴岡もそうなんですけど、やはり「子供たちに花火を見せたい」と、青年会議所の先輩たちが赤川花火大会を始めたと聞いています。

――なるほど。当時の青年会議所の方々の想いから始まったのですね。そんな赤川花火大会ですが、全国の花火ファンが一堂に集うほど有名になり、その中でも評判の高い「希望の光プログラム」はどのような経緯から始められたのでしょうか?

井上:震災の年、2011年からですね。
芳賀:もともとは「希望の光プログラム」は、被災した岩手の子供たちを赤川花火大会に招待するプロジェクトを「希望の光」と呼んでいたんです。そのプロジェクトがひと段落した時に、二尺玉をその子たちに向けたメッセージ性を持たせた花火にしようということになり、「希望の光玉」という名前を付けて上げたんです。それが26回の時に事故が起きてしまい、二尺玉を上げられなくなったので、「希望の光」をプログラムとして残そうということになり、去年からプログラムとして入れるようにしたんです。

東日本大震災で被災した子供たちへのプロジェクトが、形を変えながらも継承されているわけですね。それが花火ファンに評価されていると。そんな赤川花火大会は青年会議所が主体で、それも若手の方々で運営されているとお聞きしました。どのような経緯から現在の形になったのでしょうか?

井上:自分たちも当時のことを詳しく聞いているわけではないですが、地元の若い人たちの力を使っていこうということから、青年会議所の若手、40歳以下の30代のメンバーが中心になって実行委員会という形で運営しています。もちろん40代以上の先輩も手伝ってくれるのですが、運営に関しては若いメンバーが中心になって、一年をかけて準備をしていくんです。それに若いからこそできる部分、何かを少しずつでも変えていくこのができるのではないかと思っています。若い青年たちが中心になって、赤川花火大会に向けて一年間をかけて準備して当日を迎える。その達成感を味わうということも大事だと思っています。

――そんな実行委員会のメンバーは毎年変わるとお聞きしましたが、毎年その年の花火大会が終わったら、次の年のメンバーが決まって動きだされるのでしょうか?

井上:赤川花火大会は青年会議所のメンバーがやっている事業なので、実行委員会にメンバーが丸ごと入れ替えにはなりませんが、同じ役職は一生に一回しかやらないということになっています。

――役職は一度きりしかできないけれど、ノウハウの継承はできる形になっていると。

井上:そうですね。ずっと同じ人が同じ役職やるということの良い部分もありますが、悪い部分もあるのでそこは決まりごととして一回しかしないようにしています。役職が変わっても残る人もいることで、新しい人にやり方を教えていくという形が出来上がっています。それに赤川花火大会の運営に関わった経験が、皆それぞれの仕事に戻っても活かされていると感じています。

――井上さんは赤川花火大会に何年前から関わられているのでしょう?

井上:青年会議所に自分は震災の年に入会したので8年目になります。それまでは花火大会のお手伝いをすることはありましたが、今年は実行委員長として関わることになっています。一昨年は大会会長、去年は副大会会長をしていました。

――芳賀さんは赤川花火大会に関わられて何年目になるのでしょうか?

芳賀:4年目ですね。

――芳賀さんも4年前から実行委員会の様々な役職をされてきたのですか?

芳賀:そうですね。赤川花火大会は青年会議所の事業なんですけど、実は実行委員会は一応別組織になっていて、副部会長以上の人たちが実行委員会の中心メンバーとして運営していくようになっています。なので実行委員長、大会会長、そのあとに副大会会長、さらに実行委員長という形で役職をやっていくことになるんです。

――佐藤さんは赤川花火大会に関わられて何年目になるのでしょうか?

佐藤:私は3年目ですね。

――佐藤さんは一番お若いですが、若手の方々はどのようにコミュニケーションを取られているのですか?

佐藤:やはり飲み会からですね。

井上:毎年度、組織を作るところから始まり、みんなが役職を割り当てられて、花火大会の当日まで頑張るわけです。もちろんそれぞれ自分の仕事があって、それが花火大会の実行委員会をやることで、本来の仕事ができないこともあるのですが、まぁ一年いっぱい頑張ればいいんだ、と思えることで頑張れる部分もある。だから毎年みんな熱くなっていく。

――花火大会の実行委員をすることで、本来の仕事が回らないこともあると。

井上:一年間で組織が変わるので、8月までならと割り切ってみんなで頑張ることができるわけです。

――なるほど。次の年の実行委員はすぐに決まって動き出すのですか?

井上:本来であれば9月の末くらいには次の年の役職が決まり、実際、準備にかかるのは10月末からで一年弱ですね。

――そんな実行委員会のメンバーはある程度は内示されたりするのでしょうか?

芳賀:実は2019年の実行委員会は昨年の12月頭くらいまで決まらなかったんです。まずは総括が決まって、次に副総括が決まって、そこから実行委員会のメンバーが決まっていくんですけど、その総括が12月ぐらいまで決まらなかった。そんな総括は僕なんですけど(笑)、なかなかうんとは言えず。全体を見ながらメンバーのやる気を出させることから始める、総括が運営上一番重要なポジションなんです。

――若手の人を集めて飲み会をしたり、雰囲気も作らなければならないと。

佐藤:そうですね。実行委員会のコミュニケーションはやっぱり飲み会ですね。

――飲み会では「今年はこうやっていこう」というようなことは話されるのですか?

芳賀:そうですね。若手からやりたいことを引き出したりだとか。やっぱり一番要となる人たちって、去年の青年会議所の新入会員なんです。昨年に青年会議所に入って、半年ぐらい経って慣れた頃に花火大会の部会長という役を請け負うことになる。なのである意味緊張感がある部分もあって。長く青年会議所にいるメンバーとの壁を感じる部分もあるので、まずは飲み会でその壁を取っ払えるように、こちらから積極的にコミュニケーションを取っています。それに僕はトップダウンになってしまうのが嫌なので、若手がやりたいと思うことを自由に言える環境整備というか、雰囲気作りを重視しています。

――中心となる30代は働き盛りでお子さんもいる方が多いと思いますので、「子供に花火を見せたい」という気持ちが最もリアルな世代ですよね。

井上:自分たちがそう育ってきたからかもしれないですね。今僕は38(歳)なので、小学生くらいから赤川花火大会が始また年代なので。夏に赤川花火大会があるということが当たり前のことなんです。

実行委員会のOBたちアカハナ会と花火師との関係値が生み出すこだわりのプログラム

――赤川花火大会は非常に演出にこだわられているという印象があるのですが、プログラムはどのように決めらているのでしょうか?

井上:赤川花火大会の実行委員会の先輩たちの団体として、アカハナ会という会があるんですけど、この先輩たちがずっと色々な花火師さんたちとやり取りをしているんです。赤川花火大会の特徴の一つとして、色々な花火師さんの夢の共演と言われていることがあるのですが、本来なら花火師さんは派閥があって、一つの花火大会に複数の派閥が入ることはないんです。それが、僕たちの先輩、アカハナ会の人たちが花火師さんとの関係性を作ってくれたことで、派閥を超えた花火師さんの共演が実現しているんです。そして、アカハナ会が花火師さんと綿密なやり取りをすることで、プログラムがどんどんブラッシュアップされている。

――アカハナ会の方々、赤川花火大会の実行委員の先輩方が作り上げてきた関係がこだわりの演出を生み出していると。

井上:そうですね。
芳賀:アカハナ会の人たちの花火師さんとの付き合いは半端じゃない。

――なるほど。運営については若手の力、そしてプログラムや多数の花火師さんとの付き合いは積み重ねの力と、若手とベテランの力が合わせることで赤川花火を盛り上げているのですね。

井上:はい。なのでプログラムについてはアカハナ会が作っています。もちろん、企画や音楽を決めたり、という部分には実行委員会のメンバーが入り、色々なことを話しながら決めています。

――エンターテイメントとして考えると、実際に花火師さんたちアーティストと運営が分かれて役割分担ができていると。最初の座組が上手い。

井上:ただ、若手が積極的にやらないんだったら、アカハナ会もやらないと言われますね。

――若い人たちの気持ちが大事と。そういう意味でも発破をかけてくれるわけですね。話は変わりまして、今度は運営に関わることですが、去年から有料観覧席のエリアと無料エリアのレイアウトが大きく変更されましたが、どのような経緯から変更されたのでしょうか?

井上:これは単純に安全的な理由です。通路に人が溢れている状況を回避するためですね。有料観覧席の入口にどうしても人が溜まってしまうという状況の改善をしないと、緊急時に対応できなくなってしまう。それに有料観覧席に通路が隣接していると、せっかくチケットを購入してくれた人と無料で見ている人たちがほぼ同じ場所で見ているのは、どうなんだろうということもありました。

――有料観覧席のそばで立ち見いできてしまい、かつ通路もふさがれてしまうと。来場者が増えたことによる悩ましい部分ですね。

井上:そうなんです。花火大会運営の安全面というのは、警察や消防と一緒に話し合いをしながらやっているんですけど、それでも追いつかないほどの人の数になっている。赤川花火大会会場のキャパが大体8万人ぐらいなんですけど、今年は会場の外にさらに観覧エリアを設けようという話も出ています。
芳賀:今までずっと赤川花火大会に来てくれ、来てくれと言っていたんですけど、今度はさらに見に来てもらうための環境整備から始めなければいけなくなっていて、今年はそういった有料観覧席と通路の整備から、駐車場の問題など、見に来ていただく方々が安全に、かつ快適に花火大会を楽しんでもらえるように色々と動いているところです。

――なるほど。でもある意味嬉しい悲鳴ですね。

芳賀:有難いのですが、昨年は無料観覧席がパニックになるぐらいの来場者になっていて、やっぱり怖いなと。ここまで大きくなると第一に安全面から考える必要があるんです。

赤川花火大会は鶴岡の「誇り」胸を張って言えるような花火大会にしたい

――次に赤川花火大会ではテーマとして「感動日本一を目指す」と掲げられていますが、どのような経緯からテーマを打ち出されるようになったのでしょうか?

井上:実はあまり意識はしてないですね。数年前は「感動日本一」とだいぶ言っていた時期はあるんですけど、最近はそんなに言わなくなっています。「日本一の花火大会」はちょっと難しいかもしれない、ということから、多分「感動日本一」になったと聞いています。
芳賀:まあ花火をもう一段階良い花火にしていこう、という企画のほうもあるし、運営も警備もしっかりやっていこう、という毎年毎年、積み重ねていくスローガンとしては分かりやすいですよね。

――では「感動日本一」に繋がる、今年はこうしていこう、という野望ではないですが、目標はあるのでしょうか?

佐藤:第一に運営を担当する実行委員会としては、やっぱり安全に快適に花火を楽しんでいただける有料観覧席を増やせればと思っています。
井上:野望となると、もっと地域の人たちを巻き込める花火ができないかなというのがあります。鶴岡の人たちに花火を楽しんでもらえるようになり、次の段階として、花火を見に来る観光客を市民の人たちがもてなすような地域になるといいなと思っていて。そのために色々な仕掛けを今年はしていこうと思っています。

――具体的に地域全体をどのように巻き込んでいこうとされているのでしょうか?

芳賀:残念ながら赤川花火大会は、花火を見に観光客が花火が終わると一斉に帰ってしまうんです。このあいだもちょうど112号線の渋滞問題について話し合ったんですけど、結局花火大会の日でも、日中に何もやることがないので、鶴岡に来る理由がない。だから花火が上がる時間を目指してみんなが同じ時間帯に向かってくるので渋滞ができる。それを緩和するためにも、鶴岡に早く来る理由があるといい。そういう早く来ても楽しめる催しを他団体と連携しながら、花火大会当日にやりたいんです。例えば駅前でマルシェをするとか。そこでお金を落としてもらえれば市民の人たちも儲かるわけで。そういう取り組みを市役所とちょっと調整しています。

――赤川花火大会を単発のイベントで終わらせたくないと。

芳賀:街全体が赤川花火一色ということに今はなってないと思うんです。例えば大曲(花火大会)の運営の方にお話を聞くと、それこそその時期は新幹線が増えたり、あと何かあるたびに花火上げてみたりとか。赤川花火大会って鶴岡で一番大きいイベントであることは間違いないので、街の人にもっと利用してほしい。

――言い方は良くないかもしれませんが、もっと赤川花火大会に乗っかってきてほしいと。

芳賀:そう。こういうことがやりたいって言ってもらえれば、ダメだって一切言わないのに(笑)。運営委員会にはもう手が余っていないので、できれば他団体が手を挙げてくれて色々とやってほしい。

――花火大会だけではなくて、観光客が朝から来て楽しんで、夜は花火を見て、というように地域全体で盛り上げて欲しいと。例えばフェスなどでもいいと?

芳賀:どんどんやってほしいですね。申請してもらえれば、赤川花火という名前を使っていただいて大丈夫ですし。
井上:やっぱり街ぐるみで、さっきも言いましたけど、おもてなしができるようになって欲しい。

――もう一段赤川花火大会が大きいイベントになる時期が来ているわけですね。そしてその大きくなるがゆえの悩みがでてきている。

井上:そうですね。今までは有料席を完売するために頑張っていたのですが、今は逆に有料席が足りなくなっていたり。嬉しいんですけど、今度は街ぐるみで動けていないところに悔しさを感じ始めている。

――確かに街ぐるみで取り組めれば、また違った風景が出来上がると思います。

井上:せめて赤川花火当日ぐらいは、JRの駅を降りたら「歓迎赤川花火大会へようこそ」みたいなことになって欲しい。自分たちが駅前だったり、そういう部分を忙しくて見れていないという部分はあるんですけど。
芳賀:面白いことを言うメンバーがいて、花火大会の時は先ほども言った(花火大会が行われる川沿いの道である)112号線が渋滞するのですが、そこに赤川花火のキャラクターが「花火大会会場まであと何キロ」みたいな看板を持っていたら面白いんじゃないのと。確かに面白いなと思って。

――それは面白いですね。

井上:本来だったら花火大会の時間帯に国道を通行止めにしてもらえたら嬉しいんですけど、幹線道路なので難しい。
佐藤:やっぱり僕たち青年会議所のメンバーや実行委員会のメンバーだけだとだいぶ厳しい。本当は鶴岡市役所とか商工会議所とか、そういったところも巻き込んで、鶴岡市全体としてやっていけるようにしたい。来年30回を迎えるのですが、なかなか熱い思いが伝わらないですね。

――では最後の質問になりますが、皆さんにとっての「赤川花火」とは?

佐藤:生まれた時からありましたし、これからも当たり前のようにあるものですね。
井上:やっぱりこの地元にある花火大会であって、地元の子供たち、おじいちゃん、おばあちゃんまで、県外に行った人たちも楽しみにしてくれるもの。夏に花火大会で生まれた笑顔と感動から、地元を愛してもらえれば一番いいのかなという。
芳賀:やっぱり赤川花火大会は「誇り」だと思うんです。少子高齢化でどんどん地方から都会に人が流れていく。そんな人たちがいつか帰ってきてもらえた時に、鶴岡にはなにがあるの? と聞かれた時に「赤川花火大会がある」と胸を張って言えるような花火大会になって欲しいですし、そうなるように今回も、そして今後も続けていければと思っています。

お話をお伺いして、印象に残ったのは「もっと赤川花火大会を、地域を盛り上げたい」という気持ち。熱い想いで作られているからこそ、花火ファンから指示され、東北を代表する花火大会になっているのだと感じた。今回のインタビューを踏まえ、花火の演出や花火師さんとの交渉を担当するアカハナ会の渡部芳幸氏にもインタビューをする予定だ。2019年、令和元年の赤川花火大会は8月17日(土)開催。イープラス専用席(F席)販売は6月22日(土)9:00からスタート、特別観覧席の一般販売は7月1日(月)10:00からスタートする。夏の花火を堪能したいなら、ぜひ赤川花火大会に足を運んでみることをオススメしたい。

取材・文=林信行

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